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焼き物/陶器/陶芸作品の販売 >> 本間文江 >> エッセイ >> 手焙り猫との出会い

 「手あぶり猫」作家本間文江のエッセイ集

このページでは「手あぶり猫」の作家である岩手県の若手陶芸家本間文江さんが
河北新報夕刊の文化欄「微風 旋風」に連載したエッセイをご紹介しています。

手焙り猫との出会い(2008年1月10日掲載)

 父の下で焼き物の仕事を始めて以来、私は猫の手焙り猫を作っている。私の家族はそろって猫好きで、猫は身近な動物だった。子供の頃から、父の工房に行き粘土をもらうと猫を作って遊んでいたので、猫作りだけは得意だった。手焙り猫との出会いには少し特別な思いがある。

 ボンという名の猫を飼っていたことがある。オスの日本猫で、家族で黒一点の父と気が合い、一人と一匹はよく一緒にいた。ボンの昼寝の場所は父の工房だった。父の傍らで、ろくろをひく音を子守唄にし、長くなっていた。そして、粘土遊びをする私のよきモデルになってくれた。ボンは、とても優秀なモデルだったのだ。昼寝中に手足を動かされても嫌がらず、いろいろなポーズを作らせてくれた。時々頭をもたげると、薄く目を開け、こちらをじいっと見るが、抵抗するのは面倒とばかり、再び気持ちよさそうにおなかを波打たせる。不思議な猫だった。私の粘土遊びの記憶は、オス猫の思い出と重なる。私はボンが大好きで、猫ばかり作っていた。

 父と同じ仕事をしようと決めてからここに戻ってくるまでは、ずいぶん遠回りをした。迷いや不安がひょっこり顔を出すと、私の決意は、風船のようにふわふわ飛んでいきそうだった。しっかりと紐を結べるものを探していたように思う。そんな折、出会ったのが猫の手焙りだった。江戸時代後期に作られた陶器の猫は、首をすくめ背中を丸くして座っていた。そういえば、ボンも同じように座り、縁側で日なたぼっこをしていたっけ。そう思うとボンがそこに座り、ポーズをとって私を待っていたかのように見えた。

 こうして手焙り猫を作り始めた。私の中では、今でもボンがポーズをとっている。手焙り猫との出会いは、古い友との再会であり、風船の紐をそこに結ぶことができたのだ。

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