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焼き物/陶器/陶芸作品の販売 >> 本間文江 >> エッセイ >> 陶芸家の父

 「手あぶり猫」作家本間文江のエッセイ集

このページでは「手あぶり猫」の作家である岩手県の若手陶芸家本間文江さんが
河北新報夕刊の文化欄「微風 旋風」に連載したエッセイをご紹介しています。

陶芸家の父(2008年1月31日掲載)

 職業名を聞いただけで、その人物をよく知らないのに、近寄りがたい印象を持ってしまうことがある。「陶芸家」というのも、そういった種類の職業だと感じてきた。陶芸家である私の父親は、こだわりが強くて気むずかしい人と想像されるようだ。時には、気に入らない作品を壊したりするような、激しさを持つ人だとも思われる。私は父親がそのような印象で見られるのが嫌で、なんとか柔かい印象にしたいと考えていた。そしていつのころからか、父の仕事を紹介する時は「焼き物屋さん」と言うようになった。

 父のもとで仕事をするようになり、今まではあまり気に掛けなかった、仕事の顔を見るようになった。家の中でごろんと昼寝をしている父は、陶芸家をオブラートで包んだような、「焼き物屋さん」という呼び方がぴったりだったが、仕事上の父はそうではなかった。仕事上の父は、表面は淡々として静かだ。しかし、内面は激しく厳しい。家族の父と、仕事の師としての父の間にうまく線を引けない私は、二つの顔に戸惑い、ずいぶん衝突した。第一関門でいきなり高い壁がそびえ立ったように感じた。

 仕事のことについては、父は多くのことを語らず、その代わり、私に石を投げ入れる。不意の投石に、私は取り損ね、水の中にたくさん落としてしまう。中には、せっかくうまく取れても、価値を見付けられず、水に落としてしまう石もある。時間をかけて探し出し、磨きあげた石もある。石の意味を測りかね、多くは沈んだままなのだが、投げ入れられた石を探すうちに、自分が知っている陶芸の世界は、水面に浮かぶほんの小さな一角であり、水面下に隠れた所が、とてつもなく大きく奥深いことに気付くことができた。

 父が投げた石を拾い集め、私のものにしてくために超えなければならないハードルは、永遠に続くのだと思う。第一関門をいまだに通過できずにいるが、けんかしながらも、陶芸家の父のもとで働くことができ、本当に良かった思っている。

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